勝浦市川津沖で座礁沈没した蒸気船「ハーマン号」の慰霊祭が2月13日、官軍塚公園慰霊碑前(勝浦市川津)で執り行われた。主催は、黒船「ハーマン号」を世に出す会。
来賓あいさつとして駐日米国大使館クラーク・レジャー一等書記官兼領事が登壇した
明治維新の最中、旧幕府軍討伐のために函館の五稜郭へ向かう途中に勝浦市川津沖で座礁沈没した蒸気船「ハーマン号」。 同船は当時日本で活動していた最大級のアメリカ製船舶。戊辰(ぼしん)戦争で旧幕府軍の鎮圧を維新政府から命じられた津軽藩主が、実兄の熊本藩主を頼り援軍を要請した際、同船で熊本藩兵350人と米国船員80人が函館を目指し品川を出港したが、悪天候により川津沖の暗礁に乗り上げて沈没した。深夜に救助を求めるハーマン号に地元民は夜通し手厚い救助と介護を行ったが、悪天候と寒さも災いして日米乗員の約半分に当たる計227人が犠牲となった。
川津地域では同号事件の犠牲者を含めた水難供養を毎年8月16日に挙行。同会発起人で事務局長、海難審判において弁護活動を専門家に行う海事補佐人でもある大野幹雄さんが同号事件について調べているうちに、「これは広く世間に知ってもらわなくては」と思い、地域住民や行政に働きかけ同会を設立。独立した慰霊祭として行うようになった。
当日は、同会会長を務める照川由美子勝浦市長、駐日米国大使館クラーク・レジャー一等書記官兼領事、行政関係者、地域関係者、地元住民や遭難者遺族などが参列。同号事件と関係の深い熊本市と弘前市の両市長からもメッセージが届いた。
津慶寺(しんけいじ)宇野瑞正住職が慰霊供養の経を唱えると参列した住民たちも共に経を唱え、同号に乗船していた熊本藩藩医の子孫であるバイオリニスト中川毅さんが鎮魂の演奏を披露すると、参列者は静かに聴き入った。
大野さんは「海事補佐人として、日本人が遭難者救助に尽力したことを知ってもらいたい一心で慰霊祭を開いてきた。もっと多くの人に知ってもらえたら」と話す。